オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

感性の衰えの怖さと人間宣言の話

 

なんというかこう、手心を…の画像(すでにリプ欄にある)

 

なかなか歯ごたえのある文と分量なので読むのは大変なのですが、読むと面白いと思うので良ければ。概ねロジックで殺す感じです。

 

とはいえ僕も2に関しては「比較的昔のおじさんたちが、誰も責任を取ろうとせずに作ったのかもしれない」というのをこの日記前に言及していて、見て感じたことはこの記事とだいたい同じでしたね。辛かった。
何でしょうね、すこし世代の古いクリエイターが「人と人同士が居たらギスギスするだろうが、それがリアル」ってなっちゃうの滅茶苦茶頷くんですよね。だってその辺の人たち全員ガンダム見てしまっているでしょ。ファーストの影響があまりにも大きいでしょ。

実際富野御大はそういう描写をしているけれど、その描き方というか台詞回しが、やはりとてつもなく質感があるので良いんですよね。ただまあ結果的にお話がオチなかったりする所もありますけど。
今の子達たぶんそんなギスギスしないもん。だって普通に不利益だしね。

 

いやー、ほんと。自分の感性が衰えるのって本当に怖いんですよね。だって衰えたかどうか、一番気づかないのは自分なんですよ?

ずうっっと自分の中で抱えていることは「僕は技術を当てにされたことはない」ってやつで。どっちかというと浅くて広い知識の分野だったりが多くて、それはそれで当てにされるのは大変うれしいんですけど、怖い気持ちもあって。

知識を売りにしていると、情報の更新が常に行われてないといけない訳ですよ。古いエビデンスしか持ってないと普通にウソつきになっちゃうので。だから「現地」に赴いて知ることが重要だし、「過去」の記録だって可能な限り目を通して知っておきたいと思うし。その上で今何が起きているのか類推するのは楽しいですからね。

と、いっても、技術職の人だって常に腕と頭を更新し続けないと仕事が来なくなるタイミングがあるんだろうなあと思うと、同じなのかもしれないですけどね。人は生きる限り知識を取り入れないといけないし頭を回転させないといけない。楽は出来ない………

 

そう思うとほんと周りの人たちが滅茶苦茶完璧に見えてくるんですよね。
ありがたいことに結構いろんな分野のプロフェッショナルや好事家と交友させて貰っていて、彼らの事を見てるとずっとずっとずーーーーっと「俺はいつになったら『私◯◯チョトデキル』って言えるようになるんだ?」みたいな気持ちになったりとか。しますね。

彼らだって其処まで詳しいということはさらなる沼の深みを知っているわけで、だからこそ「自分はまだまだ」の気持ちで延々と潜り続けているのでしょうけれども。

でもホントそれを見てると「絶対に勝てないなあ」って思います。彼らは本質を見ている。本質自体に興味をもつことが出来て、そのお陰で本質を見定めることが可能であると。

そうなりてーーーなーーーーっって思いますね。

 

numbers2007.blog123.fc2.com

この前の伊集院ラジオなんですけど。ひっさびさに滅茶苦茶好きなタイプの話が来て。

すごい人、自分が尊敬する人とかが、なんかもうスゴイダメなことをつぶやいてたりするともう嬉しくなっちゃうんですよね僕。「あの人、人間だったんだ!!!人間宣言だ!!!!!」っつって。すげえダメなんですけど。

この時点でこの人が「こうしろ」って言ってるのは、「お前は、本当にいつも明日やる、明日やるで今日やんねぇな」って。だから、アウレリウスもFANZA見ちゃってんの。FANZA見るたびに、それを書いて。「本来、俺がやるべきことはこうじゃないよね」っていう。多分、賢者タイムに入っちゃったんだと思うのね(笑)

正にそういう話をしてて。そんな昔の人でもそうなんだよな!!!やっぱな!!!!っつって。ちょっと哲学書読みたくなりましたね。

 

みんな完璧にみえるけどそうじゃないのは流石に、流石になんとなくは判ってるんですよ。流石にそこそこ生きてきたので。

でもなんかそういう別部分でマウント取らないとお前は自分のアイデンティティも認められないのかよ、って大体後で凹むんですけど。

オチはないです。

 

 

なんか久々に書いたら大分口述よりというか日記っぽくなりましたね。書き方、ほぼほぼ忘れてるな……?