オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

この歳を経ないと解らないの話

実は今年20代最後の歳なんですよね、っていうことに気づくと「うおおお俺大丈夫か今」ってなることが多くて。

そもそもあんまり長生きしたくないなあ、太く短く終わりたい、ってずっと思ってて。人生五十年も長いし三十年くらいでよくね?みたいな。中高生特有のイキリが七割のやつ。だから、30歳ぐらいでなんかもうやりたいこと全部終わってるといいなって思ってたんですよ。

同人サークル的なことを初めてもう10年経つ(正確に言うと今年で10周年になった、らしい 過ぎたあとに気づいた)わけで。その時のビジョンでいうなら25,6で壁サークルとかになってるつもりでしたからね。若いですね。現実はそれどころかゲーム一本完成させてプレスしてショップ委託すらも出来たことが無い。

 

プレスしたいねーとかショップ委託してから同人サークルとして一人前だよねーみたいなことを言っていたら、時代は移りゆくものでもうダウンロード販売が主流になり、巷のノートパソコンからCDドライブが消えた結果もうCDをプレスするのも別に「ベストな選択」ではないなという世界になってしまっているわけです。

絵描きさんたちの方角を見れば、かつては即売会で新刊を出し続けることで力を上げていたのが、今ではネットで絵を定期的に上げたほうが知名度を上げる行動としては遥かに効率的で。ネットで上げていた作品集を纏めて(出したいから、ではなく纏めたいから、ある意味ポートフィリオを作るために)初めて本を出す、みたいな動き。同人サークルとして即売会にスペースを持つことが「スタート」ではなく「ゴール」になっている人が多い世の中です。世の中変わりましたね。

CDプレスが必要じゃなくなる世界が来るなんて本当に想像もしなかったですから10年前は。時代の潮流を考えると、だらだら同じこと続けると良いことはないですねほんと。

 

たった今タイムスリップしてこういう事実を10年前のボクに突きつけてもさっぱり理解できないのと同じように、10年前は忌避していた事が今普通に受け入れられるようになった、ことはたくさんあります。

10年前どころか、2,3年前まで「同人はあくまで趣味なので、効率を考えたくない」「好きなことが優先されるのが大事」って思っていましたから。

「好きなことが優先されるのが大事」なのは今でも間違いなくそう思っています、でもそれが完遂されないことの理由に「趣味だから」は通らない話、と今は感じています。趣味だからって雑にやって上手くいくと思うなよ、という話ですね。いや、雑にやって上手くいく人もいるんですよ。でも、私はそうではなかったので。

昔は効率厨という存在の意味が分からなくて。なんで趣味なのに其処まで突き詰める必要があるの?wって昔は思っていましたね。今なら「ソイツの方がよっぽど楽しんでるよ、効率厨を嘲ってるお前より」って、過去に自分に言えますね。世の中を楽しみたいと本当に思っているなら、ある程度効率厨でいたほうがむしろ誠実であると言える。

あくまでボク個人がそう思っているという話ですよ。ボク個人が。

 

 

この10年は「自分は天才ではなかったことを自覚するための」10年だったな、と思っています。いや、その、恥ずかしいことに、10年前は割と自分のことを他よりかなり優れた人だと思っていたんですよボクは。恥ずかしいことにネ。若さゆえの全能感だけで済めばいい話ですけど、どうなんだろうな。まあ思ったより自分好きだったなと思いますね、昔は。

「天才」モードになっているボクに様々な人生の先輩がアドバイスをくれましたし、もちろん貰った言葉の中には今でも大事にして指針にしていることは多いです。だけど、こと制作においての心のあり方みたいなものは、同じような状況を自分が経験してみなければ言葉を頭でなく身体で理解するには至らなかったです。

若くないと作れないもの、は実際ある。特に「モノを完成させる」ということにおいて若さが持つ周りを見失わせるその原動力は他に代えがたい支えになりますから。

 

この歳になって大体頭を抱えるのは「なんでもっと前からやっておかなかったんだーー」ですね。いや締切の話ではないんですよ。いや大局的に見れば締切の話にも通じるんですけど。例大祭の進捗を助けてくれ。

 

「俺には絵を書く”才能がないから”」って、まあ昔は思ってましたけど、”才能がない”とか誰が分かるんだよと。おまえたった20年生きた程度で何そんな見定められる気になってんの?みたいなね。いまなんにも考えずに落書きすると楽しいですよほんと。こういう感じで絵を書いてれば、ゲームの素材に困ったりすることもなかったのにって。

だからこう、何でもっと早くやっておかなかったんだろう。何で早く本気になっておかなかったんだろう、何でもっとゲームをまともにやらなかったんだろう、漫画を読まなかったんだろう、小説を読まなかったんだろう、映画を見なかったんだろう、音楽を見なかったんだろう、MMDをやってみようと思わなかったんだろう、動画制作に本腰を入れなかったんだろう、あの時、あの時に何故ボクは本気にならなかったんだろう。

って、思いはします。でも、今創作上に10年生きてきて、やっとその”恥ずかしさ”みたいなものが剥がれたからこそ心からその想いになる訳で。

 

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この記事の「30歳になったら、もう、親に反対されても自分のやりたいことをしてもいいと思った。だから、30歳で初めてオーディションを受けに来た」という話と、それに続く部分。めちゃくちゃきっつかったんですよね読んで。今ちょっと読み返したらまたきつくなってきましたね。辛い。

実際問題として20代前半から覚悟持ってやった人と、30代から始めようという人、クソほど差があるのは間違いがないので。辛いですね。「天才」という概念がこの世に存在するのであれば、それは本当に若いときから自分の能力を見極めて「覚悟」を決めた人なのでしょう。努力したから天才は天才として其処に立っている。

普通の人がそうでないことを自覚するのに、やっぱり10年はかかるんだなと。

だから、たまに若い子とかに「どうしたらいいですか」という話をされて、相応に応じた言葉を返すんですけど、心の中では「でも多分心には残らないのかもしれないな」って思って話すんですよね。
そう思ってる自分を見つけた時に「ああ、多分僕にアドバイスをくれた先人たちも気持ちの上では”半分も伝わらないかも”と思っていながら伝えてくれていたんだな」とも思うので。別に伝えたってわかんねーだろ、とは思わないんですけど。

 

30手前にならないと解らない、ではなく、10年経つと耳に入ってくる言葉は増えるなあ、という感じです。幸い、若いと言われる年齢を過ぎた後に新しい才覚に気づいてブレイクした人とかを知っている事実は、心に余裕が出来る一端になっていますしね。

他の人から見たら何も為してない無駄な10年に見えるかもしれない(事実数年前までは自分自身もそう思っていた)が、少なくとも「分かることが増えた」という面においては、面白い10年過ごしたなと。もう一回は流石にやりたくないので、次の10年は少し天才になりたいですけど。少しね。

 

 

こういう記事って普通誕生日とかなんか節目のときとかに書くんじゃないでしょうか?いや書き出した時はこんな風になるとは思ってなかったんすよ。