オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

その承認欲求はその承認欲求でしか満たせない話

最初から言いますけど全然楽しい話ではないです!

 

最近ちょうど知り合いと話していた内容にとどめを刺す内容が出ていたので「ギャ!」って言いながらリッツイットして文字を書き始めてしまいました。

ざっくりどんな話かというと。この二年で「作品を観る楽しみ」から「作品を観てその良いところを他者と共有し合う楽しみ」の方が勝ってきた、という話がスタートで。

分かち合う楽しみ自体は本当に素晴らしいことだけど、作品そのものをどのように自分が楽しんだのかよりも分かち合いが勝っちゃう瞬間があるよね、となるとやっぱり「あー、この二年で人と会わなくなった結果だよなあ」みたいな気づきなんですよね。

さらに言うと、限界独身男性の孤独みたいなものがじりじりと近づいてきて僕らの肩をつかもうとしているというか。嫌な気づき。

 

この二年か三年か、まあなんとかして人と会わずして自らの歓びを満たそうとそれぞれにがんばっているわけですが、当たり前ですけどそれって綻びが来るというか。人と会って話す歓びは、人と会わないことでは結局満たせないんだなと感じています。実際一年目くらいで気づいてたんですけど、さらに輪をかけて実感しているというか。

一方的に奪われた歓びは、別のもので補おうとすると大体においてオーバードーズになるしなんならだいたい満たされない。子供の頃におもちゃをそんなに買い与えてもらっていなかったせいか、今僕の家にはボトルマンが全種類あります。誰とも対人戦で遊んだことないのにコーラマルエナジーの締め打ちでキャイキャイ喜んでる限界独身男性がここにいるわけです。

コレっておそらくなんでもそうなんだなと思います。具体的に行ってしまうと、サークル活動で得られる歓びはサークル活動でしか得られないし、イベントにいく歓びはイベントに行くことでしか得られないし、オフ会を開く歓びはオフ会を開くことでしか得られない。一度ソレで気持ちよくなった快楽中枢は、残念ながら他の快楽ではスパークしてくれないんですよね。

編集として色々やる歓びとかADで放送作る喜びはめちゃくちゃバカデカドーパミンなのは間違いないですが、でもソレはツクールでフリゲ作ってた歓びとは質が違うんで、その時に満たされていたポケットはいっぱいにならないんですよ。快楽は似ていても全部違うから、最初からすべて換えが利かないものだと思ったほうが良いのかもしれません。

 

上で出た知り合いとはまた別の人と話したときですが、「もう一回クリエイターの舞台に立ったらプレイヤーの視点に立つのはめちゃくちゃ難しいっすよ というか無理です、プレイヤーの気持ちになってるつもりで絶対に100%エミュレートはできないです 一度世界を作る神様になっちゃってんだもん」みたいな話になったりもしました。クリエイターの歓びとプレイヤーの歓びはまあ全然違う、わりと頭ではわかっていても、どうしても同じ快楽中枢が刺激されるべきなんじゃないかと勘違いしてしまうんだなと時折思います。

 

結局なんなんこの話というと、今年一年な~んもイベント開くのも個人サークルの活動もしなかったので、そろそろそっちの快楽を得に行かないとな~~~多分良くない腐り方するな~~~と思った今日でした。

いやでもその前にポケモン終わらせていいすか。まだバッジ4つなんすよ。すぐ終わるんで、先っちょだけなんで。