オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

感想の果たす役割の話

とりあげるか無茶苦茶迷ったんですけど。此処は物申す場所ではなく、私の感情について記しておく場所なので、思うことがあるなら記したほうが良いなと思ったので書いておきます。

 

 

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この方の判断は「正しい」と思います。それは東方から離れたということがではなく、一旦筆を置いたということがです(文面からでしか察せませんが、職場での影響など、同人での推移だけがこの方がペンを握れない状況に追い込んだ訳ではなさそうだからです)。判断をした、というよりもそうせざるを得なかった、という雰囲気を感じて悲しい思いになります。
創作について(これは創作に限りませんが)、マイナスの感情の方が上回った場合はその事象から一旦は離れたほうが良いからです。ただ、それが分かっていても中々出来る人は少なくて、出来ない自分を「自分の”頑張り”が足りない」せいにしてしまって(そしてそれは50%の確率で間違っている)、生活が破綻するギリギリになって生命活動維持を優先するために強制的にログアウトするパターンの方が、ぼくの視界に入る限りでは多いです。
それが完全な断筆(筆じゃなくても何でもですよ)でなく、ある程度の妥協点を持って作品を作ることは出来ても、1つのプロダクトを完成までに持っていくことが非常に難しくなる場合の「完成PTSD」みたいなパターンもありますね。

個人的には、東方は好きなジャンルなので好きなものが嫌になってしまった話を見ていい気持ちにはなりませんしその結論づけも納得は行きませんが、それでもこの人がそう理由付けることで、筆を置いて休むことが出来るなら良かったんじゃないかなと思います。あるいは別ジャンルで創作を続けたいとなるのであれば。
距離を置く時間、人生においてかなりかけがえないものだと思っているので。ただ、置いている時間が本当に100%安らげるかっていうとそういう訳じゃない、何かしらの感情(罪悪感かもしれないし、寂寥感かもしれないし、断定はできません)に苛まされる可能性は高いので、外野に居る他人が勝手に喜べるようなことではありませんが。

 

 

先述した罪悪感を言葉にするなら、すでにファンだった人たちへの申し訳無さとかそういう感情でしょうか。
コレはあくまで作る側ではなく、買う側、ファン側に立った時のぼくの感情で話していることですが、本当にそれは気にしないでほしいと思っています。作家のファンからすれば作家が幸せに生きていることが最優先ですし、新しいものを出すに当たって命を削られていたとしても、筆を置く決断をしてそっとどこかから居なくなったとしても、何も異を唱えるも挟むも出来るわけがないんですよ。
勿論それらの行動についての感情は発生します。嬉しいとか、悲しいとか、無理しないでとか、もう新作が読めなくなるのは辛いとか。でもそれは、作家の決断の後には既に過ぎたことなので。

 

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ここから、ぼくが作る側じゃなく「ファン側」として「作家へ感想を伝えること」について思っていることと、ぼく自身の感想についてのスタンスの話をします。

 

勿論感想は伝えるべきです。でも、感想を伝えるのがとても苦手な人が無理をするべきなのかというと、それも多分違うのかなと思います。
ぼく自身はリアルでの弁が立つ星の下に生まれたおしゃべり人間なので、スペースで直接会って良かったものにはサラッと「あっ…あの…前の作品、良かったです」を伝えることが出来ますが、逆にインターネット上で感想を伝えるのは非常に苦手です。作家さんの感情や思惑に傷がつかないようにしたいと思うが故に、滅茶苦茶文面を推敲してしまって終わりがなくなるからです。

作家さんがよく「こちとら性癖を20P本で出版してんねやぞ 感想の140文字位なーに恥ずかしがっとんじゃ」的なことをいいますが、それって物凄いド正論で、ド正論すぎてフィールドデバフ配って終わりなんですよね。

感想を思う→書く→伝える、というのは既にもう作家業みたいなもので、それが出来ないから本買ってんのよみたいに思う人のほうが多いでしょうから。作家側のただのパワーマウントにしかならない。
ただ、なんというか、いろんな形はあると思うので。直接伝えるだけが感想じゃない、インターネットでリプ送るのもあり、作品名含めてつぶやくのもあり、マシュマロで匿名に送るのもあり、RTしたあとにつぶやくのもあり、そもそもRTといいねだって意思表示です、すきを吐き出すということ関してはどんな形で吐き出そうとその作品の受け取り手の自由でいいと思うんですよ。だって感想でちゃう作品は我慢してても感想でちゃうから。

勿論作る側としては最良のモチベーションになるのが感想ですし、貰えたらもうその日は天に登る勢い、とかじゃなくてホントに有頂天になりますが、でもだからといって「作家本人に伝えたいと思うまでのレベルに達してない感想」までを急速栄養剤かけて育てたりする必要は無いんじゃないか。って、私は思っています。
何度もいいますけど作ってる側からしたら勿論感想めっっっっっっっっっっちゃくちゃほしいです。ほしいですけど。それはそれとしてぼく個人が感想というものに対して思うことは違う、というやつです。めんどくさいですね。

 

何度もいいますが、コレはぼくの今の考え方であって、他の人は絶対違う考え方を持っていますし、ぼく自身も数年後には違う考えになっているかもしれません。先に言っておきます。

 

少なくとも、感想は作家を救うこと”も”ありますが、救わないこともあります。

感想を受け取れるかは、はっきり言ってしまうと作家の「状態」次第だからです。わかりやすいワガママとして書けば、一番欲しいと思った時に感想がほしいんですよ、その時が一番骨身にしみる。だからみんな「コミケ後のエゴサの72時間」になるわけですよね。一番そこがおなか空いてるときだからこそ。
凄く弱っている時に「あの時のアレが良かったです」が本当に救いになるパターンの人も居るし、「今そんなことを言うっていうのは現状の出来てない自分への当てつけですか!?」ってなってしまう人も居る。これは善悪の話をしているのではなくて性質の話です。その時は当てつけだと思った人も、日と年と太陽の上り具合によっては同じ言葉を救済の光と受け取ることだってあるからです。タイミングでしか無い。

だから、作家への感想は全て作家を救う為に存在している訳ではないんです。感想は読み手のアナタが感じたことであってそれ以上でもそれ以下でも無い。
だから感想がキレイな文章として吐き出せない、そういう能力を持たずその星の下に生まれなかった自分を殊更貶める必要は一切ないと、ぼくは考えています。
(で、あると思っているからこそ、シンプルな「良かったです」に勝るものはない、ってみんな感じてるんじゃないかって思っていますが)

じゃあ作家を救わないなら感想なんて伝える必要ないじゃないですか、って思うのであれば、その人は「感想を言う」ということに関してそういう風に思っている、ということじゃないでしょうか。

 

これは一定の見方であって、別の視点に立つのであれば。

そこまで感想というものが希少な通貨であるなら、その支払をする人っていうのは滅茶苦茶覚えてもらえるんですよね。交流っていうやつです。もし作家さんと健全な交流をしたい、みたいな気持ちがあるのであれば、やはりリアル/ネット問わずどのような形でも「感想を伝える」に勝る社交術は無いのは間違いないです。

「感想は救わないときもある」というのが事実だったとしても、でもその人の作品が好きで、居なくなってほしくないと思うなら、救わないかもしれないけど救うかもしれないなら感想は投げ得、出し得技なら感想を伝え続けるわ、という考え方も出来ますね?

私はその思いでイラストをRTし続けるし、凄く良いと思った作品には次のイベントでスペースで直接「良かったです」を伝えに行きます。伝わらないし救わなくてもいいと思ってますが、伝わった上でもしやもして救うことになっていたなら、そんな嬉しいことはないです。
なぜそう思うかと言えば、すごい好きな作家さんがぱったり活動停止してしまったことが、この同人生活10年以上でたくさんあったからに他ならないですね。感想を伝えても効かない時は効かないから。そしてそれは「そういうことじゃない」っていうのも、この10年でわかったので。

あくまでこれはぼくのスタンスです。好きに”演れ”が同人だって先人に教わったので、ぼくはそうしています。

 

 

こういう事書くと「感想いらねえんだ!」って思われそうだし、「私はそうは思いません!!」みたいなの飛んできそうだなって思いますけど、何度も言うけど作家なら誰でも感想自体はほしいですよ。どんなのであれ。分かってくれ。強いて言うなら「自然な感想」だとさらに嬉しい、みたいな話なんです。

こんなん書きましたけど、いうて「良かったです!」を嫌だと思う人そうそう居ないんで、感想として「良かったです」は鉄板ですよ本当に。なんて伝えたらいいか解らない時にはコレがベストですホントに。
「何がどう良かったですか」とか聞いちゃう作家側はちょっとなんというかがっつき過ぎではなかろうか。言うて今の所そういう人にはまだ会ったこと無いので多分大丈夫だと思います(震え

なんだか滅茶苦茶エクスキューズの多い文章になってしまいましたね。格好が悪い。
でもごかいをまねきたくなかったきもちのあらわれなのでゆるしてほしい。

 

 

何がいいたかったと言えば、誰かが同人を辞めたということに対して、
個々人が話題の上っ面だけ嘗めて必要以上に石を投げるのはどうかと思うし、
かと言って個々人がそれを必要以上に受け止めて感想を書くことに執心したり救えなかったと苛む必要もないと思うよ、っていう話です。

 

 

 

 コレをほんと表示してほしい(自戒を込めて)