オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

金野火織の金色提言とオタク・ノスタルジック文学の話

technorch.hatenablog.com

金野火織の金色提言、曲コメもう公開になってたんですね。ついさっき気づきました。

知らない人はすごい文章だなあ、これ曲のコメントなの?とか思うかもしれない。

 

オタク・ノスタルジック文学に滅茶苦茶弱いんですよ。私。

このカテゴリーは私が勝手に提唱しているもので、説明すると

①オタクが昔のサブカルを懐かしむこと。(近年においては、とりわけゼロ年代オタクが過去を懐かしむ場合を指す)

②オタクが自分の学生時代にあったこと、起きたことを、通ったサブカル(ゲームマンガアニメその他諸々)を通して話すこと/或いは単純にオタクが昔のサブカルを懐かしむこと(とりわけゼロ年代オタクがを指す)

①においては、もう「VTuber」という文化そのものが2000年代後半の「ニコ生」文化の文脈を通っている人間であればあるほど避けることが出来ないのは、今のインターネットをやっているオタクなら説明するまでも無いことですし、名取さなという存在そのものが「オタク・ノスタルジック」であるとまでいえます。名取ガリベンガー出演本当におめでとう。

②は、例示するならこういうのです。

sizaemon.hateblo.jp

日記のときだけ紅茶を嗜んでそうなナイスミドルになるまゃん師父だいすき。ほんとあこがれてる。

 

①に関して言うならぼくはもうこの年代ぶち当たりのオタクなので本当に避けられないですし、ゼロ年代オタクノスタルジックは昨今のトレンドなのでおそらくもう数年は続いていくだろうと思います。

②は①に近いのですが微妙に異なっていて。「だがしかし」みたいな単純なノスタルジー作品にプラスアルファしてオタクの要素が乗るもの、要するに「ハイスコアガール」ですね。あれはぼくよりも7,8歳上って感じなんですけど。

①は避けられないとして、②にも弱くて。多分歳を重ねたからって所もありますけど、其処だけじゃない元々持ってる弱点的な気もしていて。私にはオタク・ノスタルジックがめちゃくちゃ刺さる。

 

その発端って何なんだろう何なんだろう、って突き詰めると。多分、DJ TECHNORCHなんですよね。

 

web.archive.org

(あの会社、なんでこうやって過去の歴史を尽く消そうとするんだ?マジで昨今の時代の流れとかなんにも知らないのか本当に??)

 

多分、私の初めて触れた「オタク・ノスタルジック文学」だと思う。

ぼくが聞いて衝撃を受けたガバってものに、もっと早くに触れて、僕よりも本当に其処にすべてがあって、救われてしまった人が居たんだってことに衝撃を受けて。

以降、僕にとってスーパーソーの泣きシンセはどんなJ-POPの泣きメロより遥かに泣けるものになってしまった訳です。Gothicsystem2011のシンセは未だにいつ聞いても泣く。

 

 

氏は上記のHELL SCAPER Remixを担当した後、丸々1年半ほど活動を休止します(先述のLastEscape Remixは「もうコレ以上自分が逃げ出すことのないように」という意味を込めて付けたものだったそうです。自分を救ったとまで言える曲のRemixを担当したというのにもかかわらずそんな悲しい名付け方ありますか)。

その後音楽活動を再開し、5年後にIIDXに復活。復活して二年後に出た曲のコメントがコレ。

p.eagate.573.jp

 

コレを読んでの感情、巧く言語化出来ないんですよね。それだけテクノウチ氏に僕を含めたオタクは感情を載せちゃったのかなあとか。

ソレまで友達がいなかった自分が、GABBAHから音楽に目覚めて作曲をはじめて、インターネットで評価もされて、大学に入って友だちができて彼女が出来て。ついにメジャーリーグであるBEMANIにも入って。そうしたら、自分は新しい音楽と言われるものを作ったのでこんなに関係が増えたのなら、ずっと代わりの聞かない音楽を作り続けなければならないんじゃないか?って。その事を、氏のCD(The BEST OF DJ TECHNORCH)にコミケ会場特典でついて来たライナーノーツではその事を「日本刀を研ぎ続けなければならない」と評していて。

普通じゃない人が普通であることにこだわり続けるとどうなるのだろう。全てに理由がないと納得ができない程度に自分に自信がない人が”メジャーリーグ”に入ってしまったらどうなるのだろう?

 

 

そこまで思ってしまっていた人が、そっから何年も後に、金野火織の金色提言の曲コメントを書くんですよ。

p.eagate.573.jp

【なんか知らんが  心が動く  あなたのそれは何ですか】

 

一つお願いがあります。もしあなたの人格が成熟し、興味の対象が「ソレ」から別の次元の「アレ」へと移った時、どうか今のあなたを高めるために過去あなたが好きだった「ソレ」をおとしめる事はやめて下さい。あなたの青春を辱め、あなたがあなたを辱めることをどうかやめてください。

【好きを貶して自画自賛ですか?子供笑うな来た道だ】
【金野火織は自分で決めたい】

 

 

おそらく氏が、此処まで言えるようになったことの1つには、EDP2017があったからなんだと思います。人は人の背中を見ているし、人もまた人に背中を見られているのかもしれない。

自分語り641 - #EDP2017に出てよかった - moved → www.technorch.com

 

私は私が届けたい人に音楽が届き、私の音楽で支えたい人の人生を支えていた。これ以上の証拠があるだろうか。もしかしたらイベント中に歓声をあげている人の中にいるかも、Twitterですごくカッコイイ曲ですねと褒めてくれる人の中にいるかもしれない、とぼんやりと考えていたけれど、彼に完全無欠にこれ以上間違いなく届いていた。音楽を作る意味が完全にあったんだ。

 

こんなストーリー、世の中にありますか。
ありますね。多分いっぱいあります。スポーツ選手とか、アスリートとか、多分そういう人たちの伝記とかエピソードとかにこういうのはいっぱいあるのでしょうね。でもぼくの目には入ってきてもそのまま心に止まらなかったのだと思います。だってわからないから。

でもコレなら分かる。だってオタクの話だから。土の下の話だから。

 

 

果たしてぼくはここまで「すき」と言えるものがあるのだろうか、と金野火織の曲コメントを読んで考え込んでしまいました。ぼくは本当にゲームがすきなんだろうか。