オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

硬化する人と作品への愛と変化することの話

nishikawa-huton.hatenablog.com

この前書いたこの記事(動物アニメの)、これで最後の方に唐突に

最初に話した「け2だけじゃなくて表に出てないこういうことはいっぱいあるかも」という話、ようは「客を騙せた時代はもうそろそろ終わりを迎えている」という話です。営業だけで物が売れる時代は早々に過ぎたなと。

って話をしているんですけど。読み返したらマジで脈絡がなくて笑いますね。

元々はこっちの話をメインで書き出す予定で居たのですが、書き始めたら舵が別の方向に切れていってしまったという。(というか眠くなって空きたのはある)
一回やった話をまた盛り返すのもアレだなあ、という気持ちだったので放置していたのですが、割といいたかった論旨に近い記事があったので。

 みやーんさんってマジでいつ寝てるんだろうね。

 

私がモーリー・ロバートソンが好きとかそういう話ではなく(そもそもそんなに知らない)、言いたいのは此処で。

(モーリー)で、最後にちょっとフェアネスで言いたいんですけども。要は「バイキングが時代遅れで陳腐で、もうあんな番組は……」っていうことじゃないのね。これはそうではなくて、テレビのあり方っていうものがどうしても一律のルールで作られてきていて、それがある種の既得権にもなっているわけですよ。

プチ鹿島)うんうん。

(モーリー)で、それによって視聴者が納得をする時代っていうのがあったんだけども、NGTの例もそうだし、SPA!の例(女子大生「ヤレる」ランキング)の例もそうなんだけど、いままでのお約束をもう1回、アップデートしなければならない。

 

(モーリー)だから同じワイドショーであっても、違う視点をいろいろと検討するのであれば、その中に「ピエール瀧さんがたしかにおかしなことをやっていて、これはコカインが関係しているんじゃないか?」って言ってもいいよ。

プチ鹿島)いやー、だから元号が発表された後にその号外が配られて、それを「うわーっ!」って取っていたおじさん、おばさんいましたよね?

(モーリー)破っちゃった人も(笑)。

プチ鹿島)あれが「世の中」だとしたら、そういう人に向けて作るんだったらそういう作りになるっていうことなのかな。ワイドショーは。

(モーリー)ところが、いまの時代はそういう人たちだけではないっていうことなんですよ。これが今回、テレビ業界。特に地上波が思い知ったことだと思うんですよね。

 

自分の記事でも「誰に向けて作っているんだろう」の話からこういう方向に向かっていく予定だったんですけど、なんかやりたかった流れが此処に載ってましたね。

根本的に人は硬化する、一度成功した事例を否定して別のやり方に切り替えていくことって滅茶苦茶きついじゃないですか。
コレは別にアメリカ人だからとか日本人だからとかじゃなくて、人間という生物の適者生存に基づく在り方としてそうなっているのが当然だと思っていて。

 

r25.jp

 

みんな安心したいので。今まで盤石だと思っていた足場が壊されるかもしれない、と思ったら余計にしがみつきます。別の人に「その足場は壊れないです、頑丈ですよ」とわざわざ言ってもらうようなマネまでして。本当は別のもっとシッカリした足場に飛び移るべきなのに。頼りなく見えても。

でも、それは相当勇気のいることだし、飛び移ること自体が確実に正解ではないので………。

 

 

 

なんでこういう話をするかと言うと、ぼく自身がこういう風になることを滅茶苦茶恐れているんですよねほんと………

老いれば老いるほど、若い時に否定していた行動(わかりやすいとこで言うならソシャゲとか、ゲームが遊べてない大人そのものとか、みんな優しくなく感じるとか)を、今自分がやっているし、理解した上で行っていることに気づくので。

 

経験がない若い時には分からなかったことが今滅茶苦茶わかるし。
昔、「同人はあくまで趣味だから、情熱に基づいているべきだし、効率を求めるべきじゃない。同人はキッチリやりたくないんだよね」って思ってたし普通に口に出していってましたけど、マジでアホなのでは?と思いますね。今では。(あくまで今のボクはそう思っている、という話です)

もちろん全てが効率に基づいて動くべき、とは思っていなくて、その中間を取るべきだ、というようなことです。少なくとも趣味に効率を求めることは「作品への愛」を否定することではない。

 

https://www.amazon.co.jp/読む音楽-完全版-DJ-TECHNORCH/dp/B001MW3PFC

 

「作品への愛」に関して。私の最も敬愛するアーティストの1人、DJ TECHNORCHの本で言及されている描写がボクはめちゃくちゃ好きで。引用が出来ないのでざっくり概要だけ書くと、

とある商業で出たボカロのアレンジCDを聞いて「うまくないなあ」「デキが悪いなあ」と感じて「このCDはやっつけで作られたんだろう、愛がないよね」と思ったと。

またとある時に別の商業ボカロアレンジCDをきいて「すごく良い」「完成されている」「元のトラックへの理解がある」となり、「このCDには愛がある」と思ったと。

ふと冷静に振り返ると、自分は「CDの出来」のみで「作品への愛」を図っていた事に気づいた。出来が良くないCDも本当はすごく好きな人が作ったものかもしれない、大して愛のない、ボカロに興味のない人が作ったけれどその技術は他を圧倒しものすごい作品になったのかもしれない。 「クオリティ」は「愛」の指標足り得るのか?

 

という話。めちゃくちゃ好きですね。

こんな話を大学くらいの時に読んでおきながら、好きだ好きだと思っていても、それでも創作の効率の話を自分に持ち込むことはこの歳になるまで出来なかったわけなんですけど。

 

変化するの、めちゃくちゃきついですね。老いると特に。体力がなくなっていくので。本当に身体が資本だと強く感じます。というか、いきなり変身するの、我々は蝶ではないのでそもそも無理だと思います。蝶として生まれる人も中には居ますが。

でも、本当に長期間、ちょっとずつ時間をかけて変わっていくことは可能なんだな、と最近思い始めています。蝶だっていっかいサナギパートやってますからねアイツ。育って五秒で即変体では無いから。

 

厚切りジェイソン
でも、「耐えて耐えて、職人魂で成功する」という日本式の昔ながらのやり方だって、べつに終わらせなくていいですよね。

だって、実際にそのやり方で成功してる人は、それでいいじゃん。「よくできてるなあ、おめでとうございます!」ですよ。何一つ悪くないし、それで成功しているのなら、応援すべきだよ。

 

それでうまくいかないときに、「たとえばアメリカでは、こういうやり方で成功してる例がありますよ」という意見が一つの参考になっていれば、それでいいと思うんです。

最近のVの者とか、あと同人から商業に行って成功した人とか、
ずっと頑張ってたオタクが晴れやかな舞台に上がっていくことを僕は「オタクの救済」とか「救い」とか呼んでて滅茶苦茶好きなんですけど、救済を得るにはやはり苦しみの期間があるわけなんですよ。蛹の時間が。

苦しめ、ということではなく、いきなりはかわれないからちょっとづつ変わるということを受け入れることが苦しいんだな、って今は思います。

いろんないいとこを見つけて、いろんないいとこだけとって、ちょっとづつ変わっていきたいなあと思います。

 

 

 

 三つも話題をまたがせる予定はなかったんだけど………ちょっと強引な持って行き方だし詰め込みなので、もうちょっと筆の手綱を握る訓練必要。