オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

作家と人生の圧縮の話

何回か書いては挫折書いては挫折を繰り返しているのですが、
「にしかわさんは毎日日記をかきなさい」と言われたので書いていこうと思います。
だいたい挫折する理由が「この記事別に面白くないな」って思ってやめるやつなので、
これは記事ではなくただのはなし、「オチのない話を」「結論のない話を」「自分に向かって」する場所として自分の中で認識を刻んでいきたい。短めにね短めに。
伊集院の「のはなし」みたいな感じにしたいのよ。あんなセンス無いけど。
(といいつついきなり初回から長い話になりそうなのですが)
 
 
 
 
 
若すぎるとか突然とかそういうの関係なく、言葉が大きすぎて今もあんまり受け止めきれていないです、正直。
認めることになるので言いたくない言葉なのですが、このまま続けると言い忘れてしまいそうなので先に。
心からご冥福をお祈り致します。
 
僕自身はヒトリエの強いファンというわけではなく、そもそも初期に買っていたのはwowakaさんよりかはシノダさん(衝動的な人)やイガラシさん(元石鹸屋のベース)が目当てで。
とはいえもちろん「ローリンガール」や「ワールズエンド・ダンスホール」は流石に知っているので、その辺の人達がバンドになったというだけで超衝撃的で
聞いてみたらもう当たり前のように良くて。ワンマンとメジャーの2ndまでは行った、という感じでした。
なのでもっと強い今も追いかけているファンの人達のようには語ることはできないですが、それでもやっぱり好きでしたし、
iTunesが全曲シャッフルでたまに流してくると「オッ」ってなってそのまま頭からアルバム通して聞いちゃう、程度のファンです。
 
そういう立場の人間がこの話題を山車にして喋るべきではないなと思いツイッターではやめていたのですが、
ここニ、三日の間周囲で話していた話題とあまりに距離が近すぎて、言葉に纏めないと自分の中で逆流が起きる恐れを感じたのでここに纏めておきます。
作家と人生の圧縮の話です。
 
 

 
作家は根を詰めなければモノ作りが出来ないのでしょうか。
接頭詞に「全ての」とつくのであれば、それは違うでしょう。すべての作家が無理に無理を重ねているわけではない、健康的な人間的文化的生活を行いつつしている作家、荒木飛呂彦秋本治水木しげるのことを私は知っています。(健康的に生きるという”無理”をしている、的な見方は今回は除けておきます)
でも、それは少数派です。大抵の作家は根を詰めているようです。SNSの時代になって巷から作家の悲鳴や怨嗟がよく聞こえるようになってきました。
創作をする、までであればそう感じていないにしても「作品を完成させる」事において程度の差はあれど人生のリソースを支払っているのは確実です。お金、労力、思考、時間……
そして、「面白い」「見たことのない」作品の完成ということにおいては、人は確実に「人生の圧縮」を求められます。
 
映像制作を少し触った人なら、MADやMVにゲームPV、テレビで流れるCMや番組中のブリッジ映像なんかを見て
「あっこれあのプラグインだな」「たぶんこうやって作ってるのかな?」
みたいな気づき、脳内リバースエンジニアリングをした事があると思います(その予想が正解かどうかは別として)。
そういう中でパッと目を引くもの、記憶に残るものっていうのは「どうやって作ったのか初見ではさっぱりわからないようなもの」です。
 
複雑な3DCG、完璧な音合わせ、見たことのないアニメーション、綺羅びやかなエフェクト、アトランダムに見える構成………
どうやったって絶対作るの面倒くさそうな映像にしか見えねえ。
見たことない表現の裏側を予想するとき、少し齧った人間であるが故の良くない答えの出し方が「私の知らないソフト/プラグイン/ツールで作っているのだろう」。
ただそれが自分を騙す言葉だということも知っています、その映像の作られた年月日を見て「そんなツールが存在する年代ではない」ことが調べて分かってしまうことだってあります。
そして、偶然その作者から話を聞いた、或いは制作秘話がツイッターに書かれているのをみて愕然とします。
「あれは全部手作業で頑張りましたよ。」
 
こんなケースを今まで何度も何度も何度も体験してきました。
あのどうやって作ったのか人間の頭では分からない作品は、逆に言えば常識的な人間の頭を捨てれば作ることができるのです。
人生を圧縮すれば。
 
(個人的にですが、たつき監督は「割と大丈夫な方の人」じゃないかと思います。もちろん1年間家に帰っていない状況はエゲツないですが、ツイートする程度には本人がその事実を「おかしい」と認識出来ているので。その認識が消え失せた人がおかしくなっていくのだと思う)
 
 
人生を圧縮するとはどういうことでしょうか。
単純に言えば「他の時間を削って創作に当てること」の事を私はそう呼んでいます。
創作を仕事にしていない、働きながら同人活動をしている人のことを考えましょう。
 
一人暮らしの人がこの日本で24時間の生活をおくる場合、平日なら
・7時間程度の睡眠と
・10時間程度の労働や通勤時間と
・3時間程度の生活行動と(食事や家事など)
・4時間程度の余暇
あたりの割合になると仮定します。
厚労省のデータから、睡眠時間は20~49歳において「6時間以上8時間未満」が一番多く、(https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000351576.pdf)労働時間は平均7時間45分程度(https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/jikan/syurou/17/dl/gaikyou.pdf)、通勤時間は1時間程度(https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/131031/item2.pdf)なのを参考にしています)
これはかなり健康的なデータで、実際にはもっと労働時間が長い人が多いと思うし、移動時間を余暇に使っている人、家事を週末に纏めている人もいるだろうとは思います。
とはいえ、これだけ健全な生活を送っている人でも1日4時間しか自由な時間がないのです。
4時間。長く感じるか、短く感じるか。
 
 
個人映像制作やゲーム制作だとなかなか信頼できる筋の資料が出てこなかったので、漫画に話を移します。
小学館リクルートサイトでは週刊漫画が作られる期間を「ストーリー打ち合わせ→ネーム→原稿→校了」までで凡そ1週間としています。
構想の時間を除いたネーム以降のみをとっても雑に計算して5日間です。
漫画を書くことを「仕事」にしている人の5日間、上記の労働時間を当てはめても50時間弱。
漫画家さんやアシスタントさんのブログやツイッターに書かれている時間は「1日16時間」という数字もありました。16×5=80時間。
繰り返しますがここには前段階の構想の時間は含まれていません。
 
20ページの原稿を仕上げるのに80時間かかるとして、とても健全な人が1日に使える時間は4時間。
80/4=平日20日です。 ………あれ?行けるんじゃない?一ヶ月前から頑張れば楽勝じゃん?
そうだね、りろんはしってる。
上で書いた4時間は「自由な時間全て」です。ゲームや漫画やアニメを見る時間もこの4時間から切り分けることになります。
(創作を見ないで創作をする………できらぁ! えっ創作を見ないで創作をしろって?)
繰り返しますが上記80時間に漫画について考える構想の時間は含まれていません。
 
………同人作家と週刊連載作家をクオリティにおいても時間においても何においても同列で扱うべきではない、ないので、この計算がおおよそ全く意味のない荒唐無稽なものなのは事実ですが、
こうしてまとめてみると、それでもいま自分の手元にある同人誌をみて「これ一冊に一体どれ位の生活がかかったのだろう」と試算を始めると、やはり感謝と畏怖の念に包まれます。
 
 
 
だいぶ脱線しました、何が話したかったかといえば、
モノを完成に持っていくのはハチャメチャに時間がかかるということです。
そして、通常の完成より更に手をかけた時間はそのまま作品の”細部”になり、”厚み”になります。
 

 

 これはあくまで漫画の誇張表現です。ですけど、
「この女の子の描いているものは最初と最後でそんなに変わってないんですよね。物量が違うだけで。」
このマンガを読んだ知り合いがそう言っていて少しゾッとしました。
私の見てきた”やべえ動画”も”やべえゲーム”も大体がそうだったからです。確かに動いている細かいパーツは再現できる、でもその量が尋常ではない。想像が出来ても実践しようとは思わない。
量が違いすぎて。
 
量を埋めるには時間を掛けるしかありません。
制作に時間をかけるには生活における別の時間を削るしかありません。
人生を圧縮するとは、普通の人が大体一ヶ月かけて作るものを、三ヶ月や半年、あるいは一年分の量(熱量ではありません、本当の量です)を込めて一ヶ月で作ること。
これをやっている作家さん、作品は本当に本当に強いと思います。
でも、これをずっとずっと繰り返していたら、死にますよ。そりゃ。魂を前借りし続けているのですから。
 
 

  

削るべきは睡眠時間ではなく別の無駄っぽい時間なんですけど、人ってやつは大抵簡単に削れる睡眠時間を削りがち。
でもダメなんですよね、寝ないと。
 
先日の古文書会(読書会)の二次会で、買い手と作り手側で意見が対抗した話がありました。
「作家さんには無理をしないでほしい」
『無理をしないと大体の作品は完成させられない』
「確かに即売会で作品は手に取りたいけど命を削ってほしいとは思ってない」
『でもそうしないと締切ってやつに間に合わないんすよ』
「死んじゃったら次の作品が読めないんですよ」
『自分が見たいもの作りたいものを作ろうとしたら勝手に削れてる命側が悪い』
もうどっちの気持ちも非常に分かる話で僕は間でコウモリみたいになっていました。
こうして文章にすると『』側まじでやべーやつにしか見えないですよね。
 
『だからこそそこまで突っ込んで作ったものに感想がないとマジで絶望する』
「でもちゃんとした作品にはちゃんとした感想を送らないと(ダメな気がして)」
『そんなことない!「面白かったです」のたった一言だけで本当に救われる』
「こういう形式で送ってほしい、とか決まっていればやりやすいけど」
これも両方の意見共にメチャクチャ頷いた話で首はその辺に転がってどっか行きました。どうした其処許よ。
作家は狂っているからといって狂気の篝火を一般人に掲げてはやっぱりイカンでしょ、でもだけどそうはいっても無の為に頑張っているわけじゃあないから……
 
 
 
作家は狂ってなければならない、狂って死んだ作家こそが良い作家だ、と言っている訳ではないのは分かってほしい
死んだら負けですよ。当たり前じゃないですか。そのキャリアは伝説にはなるかもしれないが、その瞬間に全ての幕は閉じ、新しい世界を一切見ることが出来ないんですよ。
死んだら負けです。
でもその死がときおり、芳醇に見えることもありますね。
 

 (こういうタイプの人もマジで見かけるのでホント気遣いの言葉とか無駄に感じるかもしれないですけど、その人にとっては「そうじゃないと通常に生きられない」場合もあるので、外から答えを決めてしまうのは難しいです)

 
私は覚悟をせずに此処まで逃げて生きてきたという自認をしているので
そういう事例を見ると(死ぬとこまで行ってしまうことへの理解はありませんが)負けているような気分になります。
覚悟ができなかった人間は、一生覚悟が完了した人間のことを妬み嫉み羨んで生きるのでしょう。自分も覚悟が出来るまで。
でもやっぱり死にたくはない。なので死なない程度に、人生を圧縮する方法がこの世にあるのかどうか、それを探ろうと思いました。(日記要素)
 

 

 
 
いきなりクソなげー文になっちゃいましたね………またこれ次書くのハードル上がって書かないぞ………○ゃん師父みたいに端的にカッコいい文が書きてえんだよ俺は……
次からは細く短くなります。日記、日記だから。日記を書け。
さっきふとパンツの中を確認したらパンツそのものを表裏逆に履いているのに気づきました。疲れているっぽいので睡眠時間を昨日より1時間長めに取りたいと思います。
 
4/9追記
読んでいただいた皆さんありがとうございます。読んでくれた信頼できる筋の知り合いから、
「睡眠時間も確かに大事ですが、それよりも年一の定期健康診断がもっと大事ですよ」
とコメント頂きました、確かに……!先ずは病気の兆候を見つけること…!
会社勤め経験のある人は良いんですが、いきなりフリーランスで活動始めた人は「年一の健康診断」の概念そのものがないかも。マズいぞそれは!!
病院行きたくないがちなのはわかる……でもメシ抜いてレントゲンとった後病院で貰えるサンドイッチはハチャメチャにうまいぞ!!みんなも健康診断はうけような!!