オチがなくてよい日記

思っていることをできるだけ取り繕わない形でかくばしょです。日記はむりなので週記くらいにしたい。

一万時間という絶望と正解しなくていい一時間の話

漢数字と英数字が入り乱れる汚い文章になりますが、ここは「一万時間」をある意味では熟語として使うのが美しいかなと思っているのでそうしています。

 

 

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「物事を収める(極めるではない)のには大体一万時間かかる」という言説が在るじゃないですか。

知り合いの医療系の人とこの話をしていて、医学部の6年と研修2年での修学時間を計算したら大体一万時間だったと。一万時間はそんなに当てずっぽうな数字でもないよね、っていう。

一つの物事を1日9時間やると3年間で大体一万時間。これは休日を挟まないため、週5日で考えるなら大体4年半。同じ仕事4,5年やると結構色々見えてくるのは体感で分かるんじゃないでしょうか。心当たりある。

 

(一万時間で検索すると「一万時間の法則はウソ」っていう記事が上の方に多めにありますけど、ぼくはアレは「そういう努力否定ライフハック記事の方がアクセスが伸びるしSEOウケいいからでしょ(みんな努力はしたくないため)」って思っているので信用ならないと思っています。Lifeがそう簡単にHack出来ると思ったら大間違いだぞ)

 

一万時間。一万時間ですよ。

そう考えるとツイッターに転がる途轍もない技量のものは、だいたい一万時間掛かってんですよね。

めちゃくちゃうまい絵も描けるまでに一万時間掛かってる、めちゃくちゃかっこいい曲も書けるまでに一万時間掛かってる、めちゃくちゃ面白い物語を書くのにも一万時間掛かってる、めちゃくちゃ凄い映像を作るのにも一万時間掛かっている(レンダリング時間でわない)、めちゃくちゃ最高のゲームを作るのにも一万時間掛かっている………

なんだかめちゃくちゃ怖くなってきました。アナタの目の前にある創作物、嗜好品すべてが一万時間掛かっている。

 

そして、上記の通り自分の仕事に置き換えてもらえれば理解しやすいと思うのですが、「一万時間」というのはあくまで技術的な意味ではスタートラインなんですよね。それで漸く「ぜんぜんわからん」のレベル。やっていることの概要が見えてくるとかそんな。

だから当たり前ですけど神絵師の絵には一万時間+αが掛かっていて、そのアルファがヤバすぎる、更に一万時間より更に一万時間より更に更に更に……

そんなものに対してぼくは「あんなのやってみたい」とか薄っぺらいセリフを吐いていたのかと気づくとマジでゲボ吐きそうになりますね。嘘。もう吐いてました。惨状でした。

辛くなってきた。だってみんな凄い、凄いみんなはもう先に一万時間終わらせてるわけでしょ?まじかよ。俺まだ一時間もやってねえよ。いややってねえことは一時間もやってなくてもいいけど、やってることも一万時間やってることなんか胸に手を当てても何も思い出せねえよ。いや、ほんとに無い。冗談抜きに思いつかない。労働と生命活動とシコるネタ探しくらいじゃないの?あかん絶望してきた。絶対勝てないやん。

 

なんかね、でもコレ、それぞれの人の「既に一万時間やったこと」からするともう普通なんだろうなってなる奴で。生命活動に自信はゼロですけど、労働の方はまあ最低限のラインは分かるし、シコるネタ探しも多分普通の人よりクロール範囲多いかもしれんなとかは思いますよね。一万時間やるとどれだけの成果が在るかはもう分かってんですよ体感で。自認してないだけで。

だってツイッターとか多分一万時間とかやってんじゃないですかみんな?今コレはワシと同い年位のオタクくんに向けていっていますよ。アラサー以上のオタクは胸に手を当てて?

ツイッター一万時間やってると流石に「あっコレはパクツイだな」とか「コレは流石にスパム垢」「嘘松」「このアカウントはXXなので触らないほうがいい(XXに入る言葉をみんなでかんがえよう!)」とか、最早ツイートの「ふいんき(何故か変換できない)」で分かるでしょ?急にオタク年齢が上がってしまった。でもマジで一万時間という言葉の先に見えてくるものが在る事自体に理解がしやすくなると思うんですよね。インターネットに置き換えると。

要するに「一万時間」の正しさは、20代前半だとわからんけど後半になってくると急激にリアルな数字に見えてくるやつなんですよ。実態と実感が伴うから。一万時間やってた人とやってなかった人の差が明確に見えてくるのはその時期だと思う。

 

そう思うと今始めることってめちゃくちゃ大事なんだろうなと。いま29ですが。
だって大体39になるまでに「何を一万時間やるか」を決めるのは今なんですよ。今。

ああー、俺何を頑張りたいんだろう。俺何を一万時間やりたいんだろう。いま色んなことが頭に浮かぶけど、その一つでさえ一万時間出来る気がしない。これは39までにっていう考えを掲げてるからか?例えば49になって絵がうまくなった俺を俺は許容できるのか?そこからゲームを作りたいって成るのか??手段と目的が狂っていないか?そもそも表現したかったことってなんだ………………?

 

 

一万時間越えた先に見えることがあって、更にその先の一万時間の先にしか見えない世界がある、そしてこれはどんな分野においても同じ。だと私は思っていて。

だから一万時間やった人の話すことは信用できるし、その一万時間には相応の対価が払われるべきだと思う。要するにプロと対面するってのはそういうことで。
(だから誰かが適当に巻いたインターネットしんじつがまかり通って、ソレをプロが多大な時間を使って検証しないといけないそして特に対価もない事例を見ると凄い腹がたちます)

最近色んな分野の所謂プロの人に出会うんですけど。なおかつ意見とか求められたりするんですけど。コッチの答えが正しいはずがないじゃないですかって気持ちになっちゃうんですよね。一万時間、一万時間ですよ?一万時間対ぼくの付け焼き刃の知識ですよ?なにが戦いになるんですか?ってなっちゃって。そういう時は努めて考えないようにするし、その議の目的を考えてソレが遂行されることを第一に考えますけど。けども。
たま~にプロの人からお褒めの言葉を頂くことがありますけど、絶対ウソ。流石にウソでしょって思っちゃいますもん。だって一万時間やってないやつのやった成果を一万時間やったやつが褒めるわけ無いじゃん。どう考えたってそうでしょ。その場の取り繕いよそんな褒めは。勘違いすんな勘違いすんな。あるはずがないんだってホントに。マジで何いってんだ??って言葉が出かかって慌てて謝辞を述べることある。
何でそんな卑屈なのって思うかも知んないですけど、一万時間やったかどうかってマジで自分しか分からないじゃないですか究極的には。だからこそ「俺は一万時間やってねえんだよ何も!!!何も知らんくせにほめんな!!!!」みたいになる気持ちに一旦、一旦なるやつは論理的には分かるでしょ?

コレ一回深夜に書いた文章を見直して所々直してますけどこのパート破茶滅茶に気持ち悪くて笑っちゃうな。

 

 

 

 

ただ、一万時間やった人たちが、誰かの最初の一時間をめちゃくちゃ褒める気持ちは最近なんとなくわかってきました。その一万時間は一時間の積み重ねだってめちゃくちゃ分かるから。

千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず、なんでもいいですけど、その辺の格言よりも「一万時間のためにまずは一時間」って言ってもらったほうがめちゃくちゃ理解できる。いやそこまで噛み砕いちゃったら格言って言わないのよ。

というかね、正解しなくていいんですよ。毎一時間毎一時間正解しなくていい。毎回別に大丈夫じゃなくていいのよね多分。

上で書いたプロの人達だって、別に正解が欲しいわけじゃないんですよ。「観点」とか「別分野」とかそういうのが主の目的で、なんなら「聞き手」が欲しいだけの場合だってある。だから本気で付け焼き刃が切れるだなんて思ってないし、お前ごときに俺が切れるとでも思ってんのか?っていう感じですよね。そりゃそうだわ。
褒めだってそう。逆に言えば、一万時間やった上で自分には”カバーできない”部分を褒めていたりする。そこは凄いよね、っていう。でも自分のできる部分に関しては大きな自信がある、だから別分野をフラットな気持ちで褒められる。

(多分、人間が人を褒めるっていう時はそういう感情なんだろうな本来。ワシ褒める時基本的に全面降伏だと思ってるから、毎回白旗降ってる感じだから良くないんだろうな。考え方がおかしい。)

 

 

 

「正解しなくていい」は「軽率に」ってことだし、それを何度も演れと、そういう話なんだろうな。その原動力は人に見られたい褒められたいではなく単純に好きかどうかなのよ。三流でいい。

失敗する勇気が必要で、そのためには舞台に毎回毎回上がることが重要で。正解しなくていいから一時間を積み重ねたいですね。1日1時間でも10年やると大体1万時間に近づくので。

まあでもこの日記書いてる時間でソレを演れよって話なんだよな。自尊心が常に0ケルビンなので何をするにも報酬を求めすぎなんよ、報酬は作れ自分で作れ。

 

 

文体が大分ブレイクしてきて昔書いてた日記に近づいてきています。危険なので徐々にお上品なやつにもどしたい。

6月映画が多すぎるとオタクに勝ちてえの話

書くことがない 書くことがないが えーっと

 

見たい映画がめちゃくちゃ多いんですよね。今月。
先週封切りになったプロメアでしょ、ガルパン第二章も始まる、海獣の子供ももう始まってるんですよね、アラジンも確か始まってる、光のお父さんもちょっと見に行きたい、ファーフロムホームも今月なんでしょ確か?あとついでに言うならエンド・ゲームまだぼく未履修なんでほんとヤバイ。流石にそろそろ終わりそう。

あ、ゴジラはもう見ました。とても良かったです。マジであれは宗教画だと思いました。レジェンダリーはなぜあんな狂人にえいがをつくるお金を渡したんだ?????観客にゴジラしんじつを2時間まるまる突きつけてきたんだぞ???????最高でしたね。流石にエンディングの「himself」みたとき流石に腰抜かした。あれ別にユーモアとかじゃなくて”””””ガチ”””””で書いてるぞどうみても。とんでもねえ。

 

オタク同士、というか友達同士かな?で話す時、大体「同じコンテンツの共有」か「相手の知らないコンテンツについての説明」が話題の主な部分だと思うんですけど。ifとelseっつってるようなもんだなコレは。

やっぱり同じコンテンツの話題で「あれ良かったよねー!」「ネー!」ってやるのはめっちゃ楽しいですし。でも、持っている感情として、折角色んな人と話すならなんか相手の知らない話をしたいという気持ちがあって。

でもこう、そもそもそういうオタクトークで新規のネタを仕入れているところがあるため、新しいネタが出せないんですよね………何かしらのプロフェッショナルであったり一家言持ちでないため。
最早ツイッターは皆見ているので、その話をしても「あーあれねw」的な話題の楽しみ方になり、知らない話を提供する風にはならないし。
あとまあオタクなので、やっぱ知らない話しされると「負けた……」の気持ちになるんですよね………勝ちてえ……強くなりてえ………

勝つためには勉強しないといけないんですよやっぱ。ぼーっとTL眺めてても知識はつかねえ。エッチな絵のトレンドと作家名くらいしか知識が増えねえ。まいった。

とはいえ何を勉強すればいいんだという点と、知らない話して相手が全然興味なくてスベったりするとまた辛いしで、結局は知ってるおもしろ話題の共有が楽に楽しめていいんですけどね。

 

とかいいつつダラダラ生きてるともう6/10とか言うことに震えています。怖い。時間が過ぎていく。やめて。

バーチャルリストカットと下からのマウンティングの話

最初にあんなにいきこんでだ「毎日更新する」みたいなことは何だったのか。

ちょっと雑さが失われてきているので、雑にやっていこうと思います。

 

結構色んな人に「忙しそうですね」って言われるんですけど、実際そんなことはないんですよ。ただダラケたりシコったりしてる時間が長いだけなんですマジで。

あと、脳がザコなので、タスクが4つくらい、しかもそれが全部違う項目というかプロジェクト(これは「買い物」とか「掃除」とかそういうレベルのカテゴリ分けです)が並ぶと、もうパーーーンってなって全然進まなくなって1週間位放置するっていうだけなんですマジで。だからホントに忙しい人はもっと忙しいからほんとに。

まあ、大体「忙しそう」って言われたらその場は乗っかっといたほうが後々仕事振られなくていいなとか思うのでゲヘヘとかゲス笑いしながら否定も肯定もしない、みたいな対応しますけど。精神がクソですからね基本。

 

でもこの「タスクが4種類以上並ぶと機能が停止する」はホントにヤバくて、マジで冗談じゃなく1週間なにも出来なくて止まったりするんですよ。そのうち3日くらい仕事休みだったりしてもですよ。

そういう時に限って「どうせ今からやったって間に合わない」みたいな陰々滅々とした気持ちにグルグルハマっていくんですよね。まあそうやってネガティブになってる方が楽なんですよね、なんにもしなくていいので。脳が「そうした方が働かなくていいぞ!」みたいな学習をしている。

そういう時、ツイッターでとにかく色んな上手い人の絵とか凄い話とかをわーっと見たり、RTしまくったりするんですよねいつもに増して。そうすると「あーーーやっぱ自分がこんな世界で敵うわけ無いじゃん 何で生きてんだろ」「ゴミですゴミ 私なんてこんな凄まじい能力に比べたらマジでゴミ」みたいな温かくて気持ちのいい毒沼に全身浸かるわけですね。ぼくはこれをバーチャルリストカットって呼んでるんですけど。略したらVRになるかと思ったらVLだったわ。バーチャルリストカットは特に雨の日とか台風の日など気圧の低い日にやるととっても捗るのでおすすめですよ。

 

こういう時に「自分の機嫌は自分で取れ」の気持ちに早々に切り替えれるかがカギだよなあって思っています。
物に頼るのはアレですが、何ならもうお酒飲んで一時的に人生にマスキングしていくのも選択肢としてはありよなって思っています。潰れなければね。

 

 

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

 

そう言えばこれKindleで買ってたなあって思ったので今読んでます。まあやっぱヤバイですよねこの人。危機感の持ち方が。その刃物を同じテンションで自分にも他人にも向けられるところがヤバイ。今となってはアナタがF1カーでしょって感じ。
まあ山里さんなんで読んでいても「絶対 絶対ちょっとかっこよく書いてるでしょこれ」って思って読んでますけども。

 

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山里さんの結婚、根本的に皆すごいって褒めてて、ぼくも6/5の不毛な議論聞いてちょっとウルッとは来ちゃったんですけど、やっぱ若林さんいいですね。本当に性根が腐っててワクワクする。最高です。こういう弄り方する人待ってたからホントに。モテるに決まってんだよあんな人。下からのマウンティングほんとすき。

感想の果たす役割の話

とりあげるか無茶苦茶迷ったんですけど。此処は物申す場所ではなく、私の感情について記しておく場所なので、思うことがあるなら記したほうが良いなと思ったので書いておきます。

 

 

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この方の判断は「正しい」と思います。それは東方から離れたということがではなく、一旦筆を置いたということがです(文面からでしか察せませんが、職場での影響など、同人での推移だけがこの方がペンを握れない状況に追い込んだ訳ではなさそうだからです)。判断をした、というよりもそうせざるを得なかった、という雰囲気を感じて悲しい思いになります。
創作について(これは創作に限りませんが)、マイナスの感情の方が上回った場合はその事象から一旦は離れたほうが良いからです。ただ、それが分かっていても中々出来る人は少なくて、出来ない自分を「自分の”頑張り”が足りない」せいにしてしまって(そしてそれは50%の確率で間違っている)、生活が破綻するギリギリになって生命活動維持を優先するために強制的にログアウトするパターンの方が、ぼくの視界に入る限りでは多いです。
それが完全な断筆(筆じゃなくても何でもですよ)でなく、ある程度の妥協点を持って作品を作ることは出来ても、1つのプロダクトを完成までに持っていくことが非常に難しくなる場合の「完成PTSD」みたいなパターンもありますね。

個人的には、東方は好きなジャンルなので好きなものが嫌になってしまった話を見ていい気持ちにはなりませんしその結論づけも納得は行きませんが、それでもこの人がそう理由付けることで、筆を置いて休むことが出来るなら良かったんじゃないかなと思います。あるいは別ジャンルで創作を続けたいとなるのであれば。
距離を置く時間、人生においてかなりかけがえないものだと思っているので。ただ、置いている時間が本当に100%安らげるかっていうとそういう訳じゃない、何かしらの感情(罪悪感かもしれないし、寂寥感かもしれないし、断定はできません)に苛まされる可能性は高いので、外野に居る他人が勝手に喜べるようなことではありませんが。

 

 

先述した罪悪感を言葉にするなら、すでにファンだった人たちへの申し訳無さとかそういう感情でしょうか。
コレはあくまで作る側ではなく、買う側、ファン側に立った時のぼくの感情で話していることですが、本当にそれは気にしないでほしいと思っています。作家のファンからすれば作家が幸せに生きていることが最優先ですし、新しいものを出すに当たって命を削られていたとしても、筆を置く決断をしてそっとどこかから居なくなったとしても、何も異を唱えるも挟むも出来るわけがないんですよ。
勿論それらの行動についての感情は発生します。嬉しいとか、悲しいとか、無理しないでとか、もう新作が読めなくなるのは辛いとか。でもそれは、作家の決断の後には既に過ぎたことなので。

 

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ここから、ぼくが作る側じゃなく「ファン側」として「作家へ感想を伝えること」について思っていることと、ぼく自身の感想についてのスタンスの話をします。

 

勿論感想は伝えるべきです。でも、感想を伝えるのがとても苦手な人が無理をするべきなのかというと、それも多分違うのかなと思います。
ぼく自身はリアルでの弁が立つ星の下に生まれたおしゃべり人間なので、スペースで直接会って良かったものにはサラッと「あっ…あの…前の作品、良かったです」を伝えることが出来ますが、逆にインターネット上で感想を伝えるのは非常に苦手です。作家さんの感情や思惑に傷がつかないようにしたいと思うが故に、滅茶苦茶文面を推敲してしまって終わりがなくなるからです。

作家さんがよく「こちとら性癖を20P本で出版してんねやぞ 感想の140文字位なーに恥ずかしがっとんじゃ」的なことをいいますが、それって物凄いド正論で、ド正論すぎてフィールドデバフ配って終わりなんですよね。

感想を思う→書く→伝える、というのは既にもう作家業みたいなもので、それが出来ないから本買ってんのよみたいに思う人のほうが多いでしょうから。作家側のただのパワーマウントにしかならない。
ただ、なんというか、いろんな形はあると思うので。直接伝えるだけが感想じゃない、インターネットでリプ送るのもあり、作品名含めてつぶやくのもあり、マシュマロで匿名に送るのもあり、RTしたあとにつぶやくのもあり、そもそもRTといいねだって意思表示です、すきを吐き出すということ関してはどんな形で吐き出そうとその作品の受け取り手の自由でいいと思うんですよ。だって感想でちゃう作品は我慢してても感想でちゃうから。

勿論作る側としては最良のモチベーションになるのが感想ですし、貰えたらもうその日は天に登る勢い、とかじゃなくてホントに有頂天になりますが、でもだからといって「作家本人に伝えたいと思うまでのレベルに達してない感想」までを急速栄養剤かけて育てたりする必要は無いんじゃないか。って、私は思っています。
何度もいいますけど作ってる側からしたら勿論感想めっっっっっっっっっっちゃくちゃほしいです。ほしいですけど。それはそれとしてぼく個人が感想というものに対して思うことは違う、というやつです。めんどくさいですね。

 

何度もいいますが、コレはぼくの今の考え方であって、他の人は絶対違う考え方を持っていますし、ぼく自身も数年後には違う考えになっているかもしれません。先に言っておきます。

 

少なくとも、感想は作家を救うこと”も”ありますが、救わないこともあります。

感想を受け取れるかは、はっきり言ってしまうと作家の「状態」次第だからです。わかりやすいワガママとして書けば、一番欲しいと思った時に感想がほしいんですよ、その時が一番骨身にしみる。だからみんな「コミケ後のエゴサの72時間」になるわけですよね。一番そこがおなか空いてるときだからこそ。
凄く弱っている時に「あの時のアレが良かったです」が本当に救いになるパターンの人も居るし、「今そんなことを言うっていうのは現状の出来てない自分への当てつけですか!?」ってなってしまう人も居る。これは善悪の話をしているのではなくて性質の話です。その時は当てつけだと思った人も、日と年と太陽の上り具合によっては同じ言葉を救済の光と受け取ることだってあるからです。タイミングでしか無い。

だから、作家への感想は全て作家を救う為に存在している訳ではないんです。感想は読み手のアナタが感じたことであってそれ以上でもそれ以下でも無い。
だから感想がキレイな文章として吐き出せない、そういう能力を持たずその星の下に生まれなかった自分を殊更貶める必要は一切ないと、ぼくは考えています。
(で、あると思っているからこそ、シンプルな「良かったです」に勝るものはない、ってみんな感じてるんじゃないかって思っていますが)

じゃあ作家を救わないなら感想なんて伝える必要ないじゃないですか、って思うのであれば、その人は「感想を言う」ということに関してそういう風に思っている、ということじゃないでしょうか。

 

これは一定の見方であって、別の視点に立つのであれば。

そこまで感想というものが希少な通貨であるなら、その支払をする人っていうのは滅茶苦茶覚えてもらえるんですよね。交流っていうやつです。もし作家さんと健全な交流をしたい、みたいな気持ちがあるのであれば、やはりリアル/ネット問わずどのような形でも「感想を伝える」に勝る社交術は無いのは間違いないです。

「感想は救わないときもある」というのが事実だったとしても、でもその人の作品が好きで、居なくなってほしくないと思うなら、救わないかもしれないけど救うかもしれないなら感想は投げ得、出し得技なら感想を伝え続けるわ、という考え方も出来ますね?

私はその思いでイラストをRTし続けるし、凄く良いと思った作品には次のイベントでスペースで直接「良かったです」を伝えに行きます。伝わらないし救わなくてもいいと思ってますが、伝わった上でもしやもして救うことになっていたなら、そんな嬉しいことはないです。
なぜそう思うかと言えば、すごい好きな作家さんがぱったり活動停止してしまったことが、この同人生活10年以上でたくさんあったからに他ならないですね。感想を伝えても効かない時は効かないから。そしてそれは「そういうことじゃない」っていうのも、この10年でわかったので。

あくまでこれはぼくのスタンスです。好きに”演れ”が同人だって先人に教わったので、ぼくはそうしています。

 

 

こういう事書くと「感想いらねえんだ!」って思われそうだし、「私はそうは思いません!!」みたいなの飛んできそうだなって思いますけど、何度も言うけど作家なら誰でも感想自体はほしいですよ。どんなのであれ。分かってくれ。強いて言うなら「自然な感想」だとさらに嬉しい、みたいな話なんです。

こんなん書きましたけど、いうて「良かったです!」を嫌だと思う人そうそう居ないんで、感想として「良かったです」は鉄板ですよ本当に。なんて伝えたらいいか解らない時にはコレがベストですホントに。
「何がどう良かったですか」とか聞いちゃう作家側はちょっとなんというかがっつき過ぎではなかろうか。言うて今の所そういう人にはまだ会ったこと無いので多分大丈夫だと思います(震え

なんだか滅茶苦茶エクスキューズの多い文章になってしまいましたね。格好が悪い。
でもごかいをまねきたくなかったきもちのあらわれなのでゆるしてほしい。

 

 

何がいいたかったと言えば、誰かが同人を辞めたということに対して、
個々人が話題の上っ面だけ嘗めて必要以上に石を投げるのはどうかと思うし、
かと言って個々人がそれを必要以上に受け止めて感想を書くことに執心したり救えなかったと苛む必要もないと思うよ、っていう話です。

 

 

 

 コレをほんと表示してほしい(自戒を込めて)

 

 

プリコネはじめましたの話

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プリコネくんをはじめました。なぜ……今………?

大体私、他の人が始めたり興味持ったりしてるときには全然やりたくならない(アマノジャク・オタクなため)感じなんですけど、後にみんなあんまり話題にしなくなった後に急に始めるんですよね。いやまあコンシューマのゲームなら良いけどソシャゲは無料10連の時に始めたほうがどう考えてもアドだろ。無駄かよ。判ってるんですけど。

 

おもしろい、というよか「うわ~~~~やべ~~~~~~こんなん抗えねえ~~~~~~」って感じですね。TVアニメみたいなゲーム、オタクの夢でしょ?っていうのをそのまま突きつけてきてる感じ。過去のPCエンジン時代から延々と連なる「アニメみたいなゲーム」の1つの完成形なんだろうなコレ、って思っちゃいました。ゲーム開始時に流れるOPのイントロがあまりに檄!帝国華撃団なのは狙ってますよねコレ?
はーちがっつはーちがっつじゅうごにち♪ き~のうのはーちがっつじゅうごにち♪

システム部分もハチャメチャにストレスを削除するために作っていると言うか……マギレコくんが作った在り方をサイゲくんがパワーで形にしちゃってる感というか。

「肥大化したグランブルーファンタジーというシステムを今根本から作り直すとしたらこういう風にしますね」という、KMRくんの意思が見える。そりゃあ周りのオタクみんなやってるわコレ。

 

美少女盆栽ゲーとしてアズレンとは別ラインの方向性でもやってけるんだあ、って感心してます。まあでもコレCygamesしか作れねえわ。CygamesPicturesありがとう。

 

のんびり進めてこうと思います。リゼロのシナリオは終わった。リゼロそこまで好きじゃないんですけどマジで何で今タイミングで始めたんだ私?

 

継続というか回数はパワーの話

 いやもう、何事においてもこれだと思っていて。しかもコレに関しては「ソースはワイ」と言えるので。

 

twipla.jp

ツイプラの一番古いイベント履歴を振り返るとこれで、既に5回目で。たしかコレより前は別のTwitter系イベント管理サービスを使ってたけど何だったか忘れちゃった。たぶん今無いやつ。

振り返れば、コミケ後の打ち上げから始まった身内でのイベント運営がもう大体10年選手とかになっており。打ち上げでいえば年2回のコミケと1回の例大祭、それに追加して初期のアナゲ会は年3とかやってたんで、ざっくり考えても50回以上は幹事してんだなって。つい2,3年前は色々会ってかなり主催することを減らしていましたが、去年からヘルプとかがドッと増えたので全盛期のペース越えてる感じする。こんだけやってりゃまあそりゃ慣れますねっていう。身内規模ですけど。

いやでも多分この「身内規模」ってのが超良かったんですよね。そこでクソ雑な運営してポカしても、基本的に身内だったんで許してもらえたんです。その時に色々学べたから、人が増えても「押さえるべき点とどうでもいい点」の見極めが大事なんだなとかが分かるようになったので。継続は力です。継続というより回数か。

 

togetter.com

若干コレに近いような話かなって思っています。井の中時代を持つと蛙は大海でも多少泳げる。

 

対してゲーム制作は初期3,4年以降ほんと継続できなくなったし、デカいのに手を付けてしまったが故に全く成長が感じられなくなってしまって……ね……
いやマジでほんとダメだと思ってるんですよ 例大祭のやつもまだ終わってないし

だから最初の「上手くなりたい人」と「描きたい人」の事例が事実であることを、身に染みまくっておるというか………自分の中に2つの事例が存在しており………そういいますけど、そのことは自分でも長いこと目を背けてきた部分なので、ちゃんと認識できるようになったのは漸く最近の話です。

 

ぼく個人はやはり作るものの「必要意義」が自分じゃなくて他者だったり外部にあったりすると動けるタイプなんだなあ、というのはここ最近気づいたことですね。まあなんつか承認欲求モンスターってだけなのですが。

 

 

気軽に動きたい。軽率に、軽率に……トライアンドエラーを繰り返さないと人は学ばないため………やる前から「多分ダメだな」っつってやめるやつをやめるべき……

 

というかこの日記もそうですね。軽い、軽い記事を、簡単にかけるネタを……継続がだいじ……

TOHO BOOTLEGSの話

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なんかランキング載ってた様です。通知来るんすねコレ。笑った。
読んでいただいた皆さま有難うございました。

 

ちょっとスターとか読者さんとかふえちゃってビックリしていたので、ちょっとほとぼりが冷めるまで時間を空けていました。嘘。普通に何もネタがなかった。嘘。書くのめんどくさかっただけです。

あれから普通のぶんしょう書いてる時にも”漢字をひらく”癖がついちゃって良くない。

 

 

 

togetter.com

 

本日(もう昨日だわ)は博音会がありました。

博電会は、参加者が持ち寄った東方アレンジCDを、良きクラブ・バーの良き音響で聴き良き飯を食う、という、ようするに最高のやつです。最高。

縁あって初回から私はスタッフで参加させて頂いているのですが、今回はちょっと都合があり参加ができず………toggetterみるとめっっっっっっっっっちゃ行きたかったなあってなりますね………次回は行くぞい……

折角なので今回本当だったら持ち込みたかったリストとかやろうかなと思ったのですが、単純に次回の弾にしたほうが良さそうかなーと思ったので保留。

でも、掛かった曲セットリストの中にぼくの一番持っていきたかったアルバムがあったので、その話をしたい。

「TOHO BOOTLEGS」です。

 

 

これね、この前の例大祭で出たCDなんですけど、最高なんです。ええ。

この令和の時代に東方に今もいて「IOSYS?あの同人ゴロ??」なんていうため息が永遠に出るほどにわかってないやつが存在するとぼくは思っていませんが(急な言葉の暴力)、今東方には居ない人はそういうイメージはあるのは否定しない。なのでそういう人に、まずこの試聴を聞いてほしいんですよね。

 

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めっっっちゃくちゃカッコよくないですか???????

 

このアルバムはなにか?実は第一回の博音会のトークゲストにIOSYSのD.wattさんが登壇されていて、そのときに「今新しいアルバムを作っていて、それはIOSYSとして出す」って仰ってたんですね。それがコレ。

トーク中で

  • ここ数年で、クラブカルチャーの中で『IOSYSの曲聞いてました』という若い人によく会う
  • 実際そういう『クラブを中心に通ったトラックメイカー(所謂”界隈”外の人間)』が今東方アレンジをやっていて、注目している(いくつかあるうちの事例としてzekkさんとかyunomiさんとかを挙げてた)

的なことを話していて(これは意訳です)、このアルバムはそういう層(少なくとも2013~2017辺りの界隈には全く居なかった、東方から上がってきたラインではない人たち)が参加しているんですよね。

なのでこのCDからはめちゃくちゃ「ハコで鳴るべき音」がするんですよ。要するに超かっこいいんです。滅茶苦茶”今”の音なの。

 

 ぼくは今東方アレンジに対して凄くこういう気持ちがあって、色んな人達が外に出ていって、それは滅茶苦茶喜ばしいことだと思うし、そうして羽ばたいていくのは凄く見ていても嬉しいです。IOSYSさんなんかそれこそですね。話ズレるけど今でもチルパ⑨周年パーティほんと行けばよかったって思う。くやしい。

だからこそ、そういう人たちに一度でいいからその”外”で鍛えられた力で「東方のCD」を作って欲しいんですよね。そして、その時に、”外の人たち”にも東方をやってもらってほしい。俺が育ったのはこういう曲と文化とアレンジの世界なんすよ、ちょっとやってみません?面白がってみませんか?って。

 

 

もう、ほんとに色んな人に東方を”面白がって”ほしいな、って個人的には思っています。

幸いなことに(僕はこれを敢えて幸いなことと言います)、外部の人を必要以上に”外様”扱いすることが東方では見える範囲では少なくなってきたかなあと思います。

裏を返せば、今の今まで東方にずっと居続けた人も、別に外を恐れずに色々やってほしいな、って本当に思っています。外に出ていっても別に戻ってきていいしと思っていますし。内輪で内需を回し続ける時代はもう終わっている。昔ほどなんか言う人もう居ないでしょ。少なくとも、面白がられることに反発する人をkickしても構わない空気が現代はもう出来上がっているよ、それは間違いない。

ただ、もちろん面白がって貰うにはそれなりの「通ってほしいこと」はありますけどね。もちろん。めんどくさいファンなんでぼくは。

 

だから、Draw the Emotionalがまた東方でやろうとしてくれてるのは本当に嬉しいし、石鹸屋が3rdメジャーアルバム出すって決めて動いて出してくれることが本当に本当に嬉しいんですよ。

この「TOHO BOOTLEGS」を聞いた時に、本当にめちゃくちゃいい音だしかっこいいしやばいし、と同時に、ぼくが思った”そういう”東方アレンジの未来の形の1つがここにあるんじゃないかな、って思った次第です。

 

本当に手に入れてほしいアルバムです。全曲どれもカッチョいいしクラブユース!なのですが、ぜひトラック6「Qween of Silence」を聞いて下さい。そして、その後のトラック7「Anywhere but here」を噛み締めてほしい。

 

 

 

 

 

ぼくの博音会3がここで出来たので満足です。

 

 

私はやっぱどうしても音楽を「読んで」しまいますね。音楽も好きだけど、音楽に付随する情報がどうしても好きみたい。テクノウチの影響は強いんだなほんと。